日比野五鳳記念美術館
日比野五鳳
(本名・ |
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略歴 | |
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明治34年 | 2月20日、愛知県春日井市勝川町に日比野信也、だいの長男として生まれる。同年9月、母だいが早世したため、岐阜県安八郡神戸町中沢の祖父母に育てられる。 |
大正 2年 | 神戸町(旧南平野村)南平野尋常高等小学校卒業。 |
8年 | 岐阜県立大垣中学校卒業、大野百錬に師事し、漢字書を学ぶ。 |
10年 | かなを独学で研究し始める。 |
昭和 2年 | 文検習字科合格。 |
26年 | 「浦島」で日展特選受賞。 |
37年 | 日展出品作「梅」で文部大臣賞受賞。 |
38年 | 水穂会会長就任。 |
40年 | 日展出品作「清水」で日本芸術院賞受賞。 日本書芸院理事・審査員、毎日書道展審査員、日展審査員を歴任。 |
44年 | 日展常務理事就任。 |
46年 | 神戸町名誉町民となる。 |
48年 | 京都市文化功労者受賞。 |
50年 | 京都府美術工芸功労者受賞。 |
52年 | 日本芸術院会員となる。 |
54年 | 勲三等瑞宝章受章。 |
58年 | 文化功労者となる。 |
59年 | 神戸町五鳳記念美術館開館。 |
60年 | 1月27日脳梗塞のため、京都市内の病院で逝去。享年83歳。正四位に叙せられ、勲二等瑞宝章を追贈される。 |
物語
【1】母との思い出
日比野五鳳は明治34年2月、父信也、母だいの長男として生まれた。
生まれて間もなく母を亡くしたため、母に抱かれた写真は1枚しか残っていないが、この写真を見ると月琴をひいていた母の美しい横顔などを思い出したという。
祖父母のもとに引き取られ、乳母によって育てられた五鳳。小学校1.2年の頃にはすでに、祖父に字を書いては見せていた。
【2】25歳のとき京都へ
本格的に書の世界に入ろうと決心した五鳳は25歳(大正15年)の時、京都で教職に就いていた大垣商業時代の友人から紹介を受け、精華高等女学校の助教諭として京都に向かった。
【3】書の研究に専念
昭和23年3月、五鳳47歳の時に教職を退き書の研究に専念し、次々と作品を発表していった。
墨八十九号(芸術新聞社)の中で日比野五鳳が特集されている。その中の『五鳳の書「十選」』の中に、神戸町日比野五鳳記念美術館に収蔵されている「モモ栗」「落花」「奈良七重」等の6点が紹介されている。
【4】母校に残る未公開作品
五鳳が少年期を過ごした岐阜県神戸町立南平野小学校には、70歳の時寄贈した書が誇らしげに飾られている。
【5】岐阜のタニシ
自らを「岐阜のタニシ」と称し、素朴・実質を重んじた日比野五鳳。
遺された筆や硯に限らず、生き方そのものが清貧であったといわれる。
彼の筆から生まれた数々の名作の数々は日比野五鳳記念美術館に収蔵され、春と秋に開かれる展示会で鑑賞することができる。
日比野五鳳記念美術館
この美術館には、神戸町中沢出身で、現代仮名書壇の最高位にあられた故日比野五鳳先生の代表作品283点が所蔵されています。 先生は、日本芸術院賞など数多くの賞を受けられ、昭和46年には名誉町民、昭和58年に文化功労者で顕彰されています。 先生の作品は、春と秋の年2回のみ展示されます。 また、6月下旬から7月上旬にかけて、絵画、彫刻、書、写真部門による神戸町美術展を開催しています。 |
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神戸町役場玄関ロビー 「壁書」 |
神戸町日比野五鳳記念美術館団体観覧申込書(Word/PDFファイル)
令和6年度 秋季展のご案内/PDFファイル
日比野博鳳氏 名誉館長就任「皆さんに寄り添った美術館に
令和5年(2023)9月20日(水)、書道「水穂会」の会長としてご活躍中の日比野博鳳さんを名誉館長にお迎えしました。
この度の就任により、祖父である故日比野五鳳さん、父である故日比野光鳳さんに続き、三代にわたりお力添えをいただくことになりました。
ごあいさつ/PDFファイル
案内マップ
日比野五鳳関連マップ/PDFファイル
お問い合わせ中央公民館 TEL:0584-27-7321