考古歴史資料・書跡古文書

考古歴史資料扁

制札(県重文)

  • 制札(県重文)
  • 名 称 制札 三点
    所在地 神戸町大字神戸
    指定年月日 昭和33年12月14日

    永禄四年の制札

    この制札は信長が美濃国安八郡、本巣郡に兵を進めた時平野荘内の神戸市場に出した制札である。
    と記されているように、神戸の市場が出兵の為混乱しないように土地の者に安堵するよう諭した制札で朴の一枚板に達筆で記され、永禄4年(1561年)の年号と信長の花押が書かれている。
    大きさは、中心の高さ38.5cm、幅34.5cm、右の高さ36.5cm、左の高さ37.5cm。状形、山型。

    天正十年の制札

    この制札は、天正10年(1582年)に羽柴筑前守(後の豊臣秀吉)丹羽五郎左エ門の署名、花押のあるもの。
    大きさ 中心の高さ39cm、幅37cm、左右の高さ各34.5cm。形状 山型。

    慶長五年の制札

    この禁札は慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の時、関東方の将本多中務、井伊兵部少の両将より出されたものである。

    以上の三枚の制札が揃っていることは珍らしいことで、織豊時代における当地との関連を知る上においても貴重な考古資料である。

書跡・古文書扁

彩箋墨書法華経(県重文) 勧学院蔵

  • 彩箋墨書法華経(県重文) 勧学院蔵
  • 名 称 彩箋墨書法華経
    所在地 神戸町大字下宮
    指定年月日 昭和46年9月14日

    この巻物はもと当院の多宝塔に納められていたと伝えられる巻物で周辺が金流梨地の彩箋で縁取りがしてある、菅原道真真筆と伝えられ各巻とも彩箋は同じである。
    こうした巻物は当時の帝の命により公卿方が集まって写経したもので800年は経過していると思われる。
    当院は塔と共に伝教大師の創建と伝えられ、その塔にあったものと思われ大永4年(1524年)の火災により散乱し損傷したものと見られる。

白隠慧鶴書跡(県重文)瑠璃光寺蔵

  • 白隠慧鶴書跡(県重文)瑠璃光寺蔵
  • 名 称 白隠慧鶴書跡
    所在地 神戸町大字神戸
    指定年月日 昭和49年6月18日

    この書は白隠禅師が、瑠璃光寺中興の祖愚堂宝鑑国師の百回忌に当り、定水和尚の再三の請により、 遙に伊豆により老駆をおして法要に参列された時に同寺へ来錫の事情と愚堂国師の法語を書き記されたもので、禅師の書としては稀に見る大幅である。大きさは横幅1.365m、縦54.5cmの横物紙本。

愚堂東寔書跡(県重文)護国寺蔵

  • 愚堂東寔書跡(県重文)護国寺蔵
  • 名 称 愚堂東寔書跡
    所在地 神戸町大字神戸
    指定年月日 昭和49年6月18日

    愚堂東寔は、天正5年(1577年)美濃国伊自良(山県市伊自良)に生まれ、姓は伊藤氏。妙心寺聖沢庵の庸山景庸のもとに大悟し、その法を嗣いだ。 護国寺の住職も勤められ、臨済宗復興の先駆をなし、後水尾天皇、稲葉一鉄、徳川家光等の帰依をうけた。寛文元年(1661年)寂八十五。
    書の内容は、「神戸村に禅憎があって、法友と池田村に庵を作ろうと計画した。土地を整理したが傍に枯井戸があったので、その石を新井戸に使おうとしたら、下に小蛇が集まって動くことが出来ずにいた。 それを集めて空地へ移したところ、冬盛りの為蛇は寒さで死んでしまった。他日これを聞いて偈を以て慰霊した。」と、いうものである。軸の大きさは縦29.5cm、横76cmである。

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